人と比べてしまう心理~人と比べない自分を手に入れる方法は?~
どうして私は周りのみんなのようにうまく立ち回れないのだろう?
どうして私はあの人のように明るい性格でないのだろう?
わたしよりも良い生活をしているあの人がうらやましい!
こんな風に他人と自分を比較してイライラしたり落ち込んだりすることはありませんか?
私たちは「人と比べてはいけない」と頭ではわかっていてもついつい人と自分を比較してしまいがちです。
どうしてでしょうか?
また、どうしたら人と比べず心穏やかに過ごすことができるのでしょうか?
- なぜ人と比べてしまうのか?
- 人と比べてしまうことの問題点は?
- どうしたら人と比べないようになれるのか?
なぜ人と比べてしまうのか?
そもそも私たちはなぜ自分を人と比べてしまうのでしょうか?
人と比べることはかならずしも悪いことばかりではありません。
私たちは人と比較することで自己確認している部分があります。人間の心理発達の観点からみても、子供ははじめは自分中心の絶対的な自己しかありません。ところが、保育園や幼稚園、学校などで集団生活がはじまると、集団の中で他者と自分を比較するようになります。それにより、自分の得意不得意を知ったり、特徴を認知するのです。
つまり他者との違いを知り自分をくっきりと認識するためには比較は避けようがないことなのです。
人と比べてしまうことの問題点は?
ところが、ただ他者との違いを知るにとどまらず、そこに優劣という視点がもたらされてしまうことが劣等感や嫉妬心の源になります。特に現代は競争社会です。一時期、「勝ち組、負け組」という言葉が流行りましたが、目に見えて数量化できるような基準に照らし合わせて勝ち負けや優劣を競ってしまいがちです。人よりも多くのものを持っていたり、高いポジションにいれば優越感を感じ、そうでなければ劣等感を感じてしまうのです。
どうしたら人と比べないようになれるのか?
ではどうしたらよいのでしょうか?それにはいくつかの方法があります。
(1)自分の特徴を知り、その良い部分に目を向ける。
カウンセリングのテクニックに「リフレーミング」という手法があります。
リフレーミングというのは別のフレームで物事を見てみることを言います。
例えば自分の性格を「ずぼらでがさつだ」と感じてコンプレックスを抱いており、きめ細やかな人を羨ましいと感じているとします。
でも「ずぼらでがさつ」というのはリフレーミングすると「おおらかで快活」と言えるかもしれません。このようなフレームで見ることができれば、自分のコンプレックスは実は強みであることに気づくのではないでしょうか。
(2)数量化できない質的なものを大切にする
「あの人は友達が多くて羨ましい」「あの人はたくさん稼いでいて妬ましい」・・・
でもこれらは〇人、〇円などと数量化できる事柄です。数量化できるものに価値を置いていると常に人との比較に苛まれます。
そこから脱するためには「質」に目を向けることです。
友達の数ではなく、質。お給料の多寡ではなくやりがい、など。
愛情や友情、やりがいなど目に見えない質的なものを大切にすることです。
(3)エネルギーに転換する
心理学者のA,アドラーは、人は、「自分が理想とする姿と現在の自分のギャップで劣等感を抱く」と言っています。
例えば、皆さんがトップレベルで野球の練習を日々重ねているというのであればメジャーリーガーの大谷翔平に劣等感を抱くことがあるかもしれません。
でも、まったくメジャーリーガーになりたい、と思っていなければ、大谷翔平がいくら良い評価をもらっていたとしても劣等感は抱きませんよね。
ということは、劣等感というのは「こうありたい」という理想の自分の姿を他人の中に見て抱くものなんです。
ただ、この劣等感があるから人間はそれを克服しようと努力したりより良く生きようとするわけであって、このような感情を抱くのは人間であれば当たり前なのです。つまりこの劣等感自体は全く問題がないのです。
では何が問題なのかというと、アドラーが批判したのは、「自分は背が低いから女性にもてるはずがない」とか「学歴がないから就職できない」などと、劣等感を理由にして人生の課題に向き合うことから逃げてしまうことです。
これをアドラーは「劣等コンプレックス」と言いました。
逆に、何かにつけて上から目線で自慢げな人っていますよね。例えばことさら自分のキャリアや学歴を自慢したり、人を見下したりする人です。
アドラーはこれを「優越コンプレックス」と言いました。
自分を大きく見せることで相手の価値を引き下げるわけです。
この優越コンプレックスも根っこは劣等コンプレックスと一緒で、何かに負い目や引け目を感じているからこそ、それを埋めようとしてことさらひけらかすわけです。
だから大切なのは「普通でいる勇気」なんだ、とアドラーは言います。人と比べて卑屈になる必要もないし、逆に人よりも秀でてなければならないと必死になる必要もない、普通でいる勇気が大切だということです。言い換えるとありのままの自分でいる勇気ということです。ありのままの自分で今やるべき人生の課題に取り組んでいくことこそに人間の成長がある、ということです。
人間は完全ということはありません。誰でもが何かしらのコンプレックスを抱えています。
でもそれをエネルギーに転換していくことが大切なのです。
当学院のカウンセリング講座では人との比較から脱する様々な方法をご紹介しています。
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